煙がある風景 東洋レーヨン滋賀工場で余生を送った C型輸入機関車達

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  • Опубликовано: 20 авг 2024

Комментарии • 7

  • @user-ui2tu1tc6v
    @user-ui2tu1tc6v 3 месяца назад +3

    61年前の貴重な映像をカラ-で視聴出来て、本当に嬉しく思います。
    第18回東京オリンピック(1964年/昭和39年)の前年(私は小学6年生でした)に、この様な映像を撮られていたことに改めて感服する次第です。
    いつも有難うございます。

  • @Kaneyanmaru_Channel
    @Kaneyanmaru_Channel Месяц назад

    おそらくこれらの古典蒸気を置き換えるべく伊予国から刺客としてやってきたのが、伊予鉄道のディーゼル機関車であるDB3号です。
    本来のねじ式連結器から自動連結器に交換されてはいましたが、1984年頃まで現役だったらしく、僅か車齢14年で置き換えられた同僚より16年も長生きしました。

  • @user-je7ix4hh4o
    @user-je7ix4hh4o 3 месяца назад +1

    映像の2両とも、保存されてますね😊

  • @sunami808
    @sunami808 3 месяца назад +1

    明治末から大正初めに輸入されて戦禍をくゞり抜けて、高度成長期まで稼働していたですね。

  • @u2usokendo949
    @u2usokendo949 3 месяца назад +1

    1970年に東レの炭素繊維の試験生産がこの滋賀工場で始まった。
    ということは、この少し後、もしくはこの頃にはもう炭素繊維樹脂への着想はあったのかもしれない。

  • @nirvana8206
    @nirvana8206 3 месяца назад

    地元住民です。東レ引き込み線は10数年前まで稼働していました。国道一号線を横断するため5分ほど
    通行止めになり、大渋滞の原因で地元では評判は良くなかったです。

    • @dai2asakaze
      @dai2asakaze 26 дней назад

      東レの引込線は大顰蹙やったけど反対側のNECの引込線は奥ゆかしいっちゅうか控えめっちゅうか、、、
      石山駅の駅員が慣れない手つきで誘導やってたなぁ
      膳所のセメント、守山の上原成商事、石山の東レとNEC
      20年ぐらい前まで滋賀にも専用線あちこちにあったのに、、、